LA VIDA ES BONITA! (ラ ビダ エス ボニータ)

煩悩だらけ仏教徒のリアルタイム世界旅行記。"LA VIDA ES BONITA(ラ ビダ エス ボニータ)"はスペイン語で”人生は美しい”という意味です。

世界像と言葉

前回のブログに関係する話です。

繰り返しになりますが、
私たち人間は普段、自分の外側に客観的な世界があると考えていて、自分が死んでも世界はそのまま続くと思っています。しかしその世界とは、個人個人の認識に基づいて作りだされるもの、つまり意識の中で作られるものです。そして、その世界像は言葉によって構成されます。

この世界は人間の脳では認識しきれない量の物質、物体、現象などがあってそれらが複雑に絡み合ってできています。
例えばある1本の木についてですが、もし正確に脳が認識しようとしたら、それは
「地面に根を張り、1本の幹とXX本の枝とXX枚もの葉っぱなどからできている物体」
みたいな認識になるはずです。
しかしそういうふうに世界を認識していたら脳がパンクするから、簡略化して捉えるようにして、そういう特色をもった物体を「木」と呼ぶことになったわけだと思います。

私に言わせてもらえば、言葉とは、脳が正確に認識しきれない複雑な世界を効率的に認識できるようにするためのルール・合意事項です。つまり、脳に都合のいい「世界の区切り・整理機能」の道具と言えます。
また、当然ですが、他者とのコミュニケーションの道具でもあります。
言葉は脳にとっても、コミュニケーションにおいても、大変便利で大切なものです。

ですが、世界を脳に都合のいいように言葉を使って認識するということは、脳がパンクしないよう対象を区切ったり簡略化して捉えていくことでもあるので、言葉によって表わされる世界は必然的に本来の世界の姿とはズレが生じることになります。

この言葉の抱えるジレンマをふまえつつ、うまく言葉を使いこなしていって表現力豊かな人間になりたいです。そして言葉の束縛性を超越する自由な世界像を作り上げて生きていきたいって常に思っています。

言葉以外に世界像を作り上げる手段はないと思いますし、言葉を使わなければ社会で生きていけないですし・・・。

デーモン小暮が自分の年齢を「XX億光年○○歳」みたいな感じで表現したり、しょこたんが「ギガXXX」とか言っているのをみて、面白い発想だなって思いました。
どちらも言葉を使った表現ですが、自由な発想で、私には言葉のジレンマを感じさせないと思えます。
ゆうこりんが「コリン星出身」とか言ったしているのも面白いと思うんですが、これはちょっと、また別次元の発想なのかなぁ、よくわからない。

最後に愚痴です。
言葉というもので、私が嫌いなのは、「世間」とか「天」などの言葉のように、本来存在していないものをあたかも存在しているかのようにでっちあげて、人間を縛ることができるという特性です。
「世間」は人間が生み出した幻想的な共同体で、人間を縛るものだと思います。
協調性を大事にしつつも、こういうものにはあまり束縛されずに生きていきたいです。


  1. 2008/07/04(金) 05:24:33|
  2. とても個人的なこと
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